506: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/14(木) 21:36:43
魏延の首が楊儀の元に届いた時、楊儀は、
「庸奴(愚かな奴隷)め、 もう一度悪さをやれるならやってみろ」
と言って首を踏みつけたという。

507無名武将@お腹せっぷく 2005/04/14(木) 22:05:24
よっぽど嫌いだったんだな。
509無名武将@お腹せっぷく 2005/04/14(木) 22:39:10
そうじゃなくて出身階級の差ってヤツだろう 
魏延はどうも庶民出身らしいし
510無名武将@お腹せっぷく 2005/04/14(木) 22:59:12
劉備がムシロ売りだった件について
512無名武将@お腹せっぷく 2005/04/15(金) 07:21:45
階級の差は深刻だったみたいだね 
蜀の法律を作った一人である劉巴は張飛と一言も口を聞かず 
「なぜ兵卒の如きと口を聞きましょうや」と言い切ってるし 
関羽は士太夫を憎んでいる
515無名武将@お腹せっぷく 2005/04/15(金) 23:47:09
そういう意味で様々な階級を包容した劉備は偉大だな。 
嘘か事実かわからんけど劉備が高祖劉邦の遺伝子を 
濃く受け継いでるのは確かかも知れないな。 
516無名武将@お腹せっぷく 2005/04/16(土) 02:31:55
魏延と楊儀の仲の悪さは性格面の方が強いと思う。 
一旦論争になれば魏延が楊儀に刀を突きつけて、 
楊儀が泣くという有様だったらしいし。
520無名武将@お腹せっぷく 2005/04/17(日) 19:04:06
でも楊儀と関羽は仲良かったな。
521無名武将@お腹せっぷく 2005/04/17(日) 19:38:18
議題とずれるが 
魏延の謀反の原因→反骨は間違いだと思う 

原因→反骨と諸葛亮に言われ、重要されない事ではなかろうか 
つまり諸葛亮が謀反を引き起こした物だと思う 

じゃないと蜀で戦い続けたりしないと思う。
522無名武将@お腹せっぷく 2005/04/17(日) 19:41:25
いや、諸葛亮は魏延の武勇を頼みにしていたし、重用しているよ。
525無名武将@お腹せっぷく 2005/04/17(日) 20:25:53
諸葛亮の死後、魏延が殺害されたのは 
魏延が諸葛亮の遺言に従わず 
自分が総大将となって北伐を継続する事を主張したから 
置き去りにされて 
逆恨みし、桟道を焼いてしまったからなわけで 
陳寿が言うには、成都に誰も魏延を擁護したものがいないのも 
馬岱に殺害されたのも、自業自得と言えなくはないと 

諸葛亮は、魏延がいつもリスクが高い作戦を主張するのを聞き入れなかったから 
魏延は諸葛亮を臆病者呼ばわりしてたけど 
諸葛亮も魏延を亡き者にしようとまでは思ってなかったんじゃないか 

正史では諸葛亮は、劉備亡き後劉封が謀反する事を恐れていて死刑を勧めたので 
吉川三国志で魏延を亡き者にしようとしたのもそっから来てるのかも 

530無名武将@お腹せっぷく 2005/04/17(日) 21:47:19
楊儀は有能なんだけどその有能さは大局的な有能さじゃなくて近視眼的なもの 
便利な有能さ 
費ネ韋とか蒋王宛はもっと大きな有能さなんじゃないかな 
軽自動車の有能さと高級車の有能さとでもいうべきか 
国を治めるには高級車の有能さが必要でも楊儀は勘違いして丞相府のNo2である自分が諸葛亮の次に!と思っていたと思う 

魏延は魏延で軍事部門No1の自分が諸葛亮の次に!と思って二人で政争 
魏延謀殺、楊儀失脚後自殺 
惜しい魏延を亡くした
532無名武将@お腹せっぷく 2005/04/17(日) 22:12:35
魏延もあそこで諸葛亮の遺言に背くようでは、どのみち楊儀と同じ運命を辿るだろう。 
伝では魏延が諸葛亮の事をかなり嫌っていたの事が伺えるから、余計にそう思う。
534無名武将@お腹せっぷく 2005/04/17(日) 22:13:41
魏延は諸葛亮を嫌っていたんじゃなくて
自分で作戦立ててやってみたかっただけじゃないかと
541無名武将@お腹せっぷく 2005/04/18(月) 01:29:33
臆病者と罵ったり、自分の才能が発揮されない事を嘆き、 
かつ恨みに思っていた、とある。 
諸葛亮死後は、幕府付きの役人達はこのまま遺体をかついで帰国して埋葬すればいい、 
一人の死によって天下の事を廃するとは何事か! 
と、楊儀が嫌いなのとは別に諸葛亮の遺言に反発してるし、 
発言の内容からかなり諸葛亮が嫌いだったと思う。
543無名武将@お腹せっぷく 2005/04/18(月) 01:42:31
その、諸葛亮の遺言も発し方が不自然だよな 
書面で本国にも魏延にも伝え済みってんならともかく、 
一部の人間あつめて、こっそり指図してたってなぁ… 
遺命の信憑性そのものから疑いたくなる不自然さだ。 

しかも、「前線の指揮官と、その指揮下の兵を放置プレイしていいよ」ってのは 
政敵排除にしてもリスク巨大で間抜けすぎる。
548無名武将@お腹せっぷく 2005/04/18(月) 06:48:53
そんなに不自然じゃないよ。 
なんせ、魏軍と対峙中な訳だから。 
「総司令官死亡につき、撤退」
なんて事をあちこちに伝えた後に撤退行動を開始したら、
混乱も出て将兵の動揺も大きいだろうし、
魏軍へ伝わるのも早いだろうから追撃もありえる。
 
総司令部の幕僚連中だけに伝えて、
死去直後に魏延以下の諸将にも伝達→撤退へって流れだからね。 

本国への伝達に関しては、死去直前に李福が来た際に伝えてあると思われるけど。 
549無名武将@お腹せっぷく 2005/04/18(月) 08:07:50
互いの仲を調停させようとした事も書かれてるし
蜀本国は魏延も楊儀も死なせるつもりは無かったんじゃないかと
550無名武将@お腹せっぷく 2005/04/18(月) 10:08:25
魏延はともかく楊儀に対してはそうは感じられないが…。
551無名武将@お腹せっぷく 2005/04/18(月) 10:50:51
そりゃ帰国後の楊儀が愚痴吐きまくりだったからだろ
558無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 00:08:38
おいおい 
魏延の官位考えてくれ 
蜀使持節・前軍師・征西大将軍・涼州刺史・南鄭侯 

この中で前軍師・南鄭侯ってのはまあ置いておこう 
でも蜀使持節・征西大将軍・涼州刺史って事は自分で判断できる権利、涼州における軍権、西方に対する軍権、を持ってるって事だ 
格上の武郷侯・開府治事・益州牧・丞相の諸葛亮が開幕しているからそれに従っているだけだった 
だから没後に魏延の怒りは尤もな事だ 

が幕府の中と言う意味ではNo2でなかったかもしれない 
書いてて主導権争い以外の何者でもないなと思った 

559無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 01:01:51
主導権争いというか諸葛亮が自分の死後に魏延が危険になると思って 
事前に諜し合わせておいたってとこじゃないか?
561無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 08:28:55
諸葛亮生前の魏延に罪はない。 
「法律上の罪はないが政治的に危険性があるから排除しておこう、そのために軍事上の 
重大な決定の場によばない、決定したことを報告もせずにそのまま放置していこう。」 
これだけないがしろにされればそりゃあ怒るって。 

見方によれば、諸葛亮は自分の幕府を魏延に乗っ取られたくなくて
(諸葛亮からみれば)、 幕外の大物を排除したともいえる。 
どちらにせよ、諸葛亮―楊儀ラインによる政敵排除としかいいようがない。
563無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 10:55:34
思うに諸葛亮は死後の事後策を予め指示しておいて 
もしも魏延が従わなかった場合は処断するようにしたんだと思う 
この場合生前に罪はなくとも死後に軍法違反となる 
564無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 11:05:47
どんな意図があったにせよ、 
結果的には他者を巻き込む形になり、魏延の指揮下の兵も霧散。 
多分その年の恩赦で、当時魏延側について逃亡せざるをえなくなった人間の 
回収をしたんだろうけど、どこまで回復出来たことやら…。 
軍隊という形式を維持してるという時点で、それなりの将兵も含まれるだろうから 
少しでも多くの兵役人口を確保したい蜀においては、結構な痛手だよな。 

最終的には政争として処理するしか無くなるあたり、 
死後に随分と面倒な事を残したもんだよと思うわな。 

565無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 11:15:19
指揮官が反乱を犯した場合は兵が罪に問われるとは思えない。 
兵士達がどこまで魏延に心頭していたかによるが 
「魏延が命令違反をしまして、前線に出過ぎました」となった場合は 
兵士達は命令違反をした魏延を怨むと思うが?
566無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 12:55:52
そんなに面倒かな?僅か一戦で終わっており、楊儀側にもさして損失は見られない、 
魏延側も軍の規模は小さいみたいだし、直に四散してる、
随分あっさり片付いた方だと思うよ。 
それに諸葛亮が危惧したとおり、結局魏延は命令違反してるし、 
むしろ読みがあたってたと言うべきことだと思う。 

大赦は楊儀と魏延の政争よりも、諸葛亮の死と蔣琬が後継者になった事に 
対する事の方が大きいんでないかな。
567無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 13:01:47
魏延は諸葛亮の軍事面での後継者を気取っていたから 
ついはしゃいでしまったんだろうな。 
大人しく戻れば後継者になれたものを
568無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 13:11:21
大人しくしてれば北伐の機会が永遠に失われる 
と言うのも晋書によるとこの時期巨大な運河を作って関西方面の補給を万全にした 
この運河の完全な開通前に蜀は勝利して領土を切り取らなければ
物量の前に二度と勝てなくなる 

だからこその第五次北伐なのに今ここで引き返してしまうなど
正気の沙汰ではないと魏延は考えたんではなかろうか 
だからこそ「国家の大事を」って発言が出るものだろう 
猪武者なイメージとは裏腹に相当の戦略眼もあったんじゃないかな
590無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 17:13:11
「この戦争を勝たなければ勝機が無くなる事を知っていたので
死ぬギリギリまで粘った。 」 
こう言えば美談ではあるけど、これはチャカし抜きに無責任だよ、 
自分がいなくなったら下の人間が混乱すると考えているならなおさらね。 

後事を決めるにしても国内のがやりやすいだろうし、 
存命中に撤退&人材整理は国内で慎重にってのがベストだろうなぁ。
591無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 17:21:00
だからこその撤退命令だと思うのだが 
自分の死後にいざこざが起きる可能性が高いから撤退命令 
死後も安定しているとすれば指揮官変わ
って戦争続行だろう。 
撤退命令がないともっと悲惨な事になっていた可能性もある。 

ここまでゴタゴタするとは思っていなかったと思われるが 
俺等は歴史をみて結果を知って居ての議論だしなと思う。 
これは残った諸将がふがいないという気もする。
601無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 19:18:46
遠征軍の総司令官が死亡すれば、撤退は当然でしょう。 
撤退に関しての本国への事前通達は、
死去直前に諸葛亮のもとを訪れた李福に託したと思われます。 

自身の後継者指名や重要な国事に関しての指示をしているのだから、
撤退に関しても伝達していたと考えた方が自然です。 

魏延への通達は死去後に費禕を通じて行ってますね。 
死去後も全く撤退を通達せず置いてきぼりでは誰しも怒るでしょうが、
通達は行ってますからね。 
諸葛亮の遺命も「魏延が殿軍。従わなければ放っておけ」だから、
始めから無視と言う訳ではありません。 

魏延以外の諸将、特に外戚の呉懿等も撤退には素直に従っている事からも
魏延の方に問題が大きかったのでしょうね。 

602無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 19:48:02
一国の宰相が、自分の死後について将軍間の協調、合意をはなから明らめて、
決裂は避けられないって放っておくのはどうなんだろう。
結局、諸葛亮の持っていた権力の性質、 
まとめ役を登用することが出来なかったこと要因になったのかな。 
劉禅の指導力不足と魏援の反骨が直接的な原因なんだろうけど。
603無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 20:00:24
どうなんだろ、少なくとも北伐開始事の227年頃以降から7年程の間の人間関係を考慮しての遺命だろうからな。 

正史にも「楊儀の才幹を愛し、魏延の剛勇を頼りにし・・」
ってあるから苦慮してたのは想像できる。 
魏延、楊儀の調整役的な存在だった費禕も重用はされてても、
年功を考えれば若輩だし。結局、蜀漢は器量狭い人間しかいなかった
って事だろうけどな。劉淡もそうだし。 
604無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 20:19:39
蜀ってのは愛すべき馬鹿野郎たちの集まりなんだよ。 
魏延は最後、魏に逃げることもできたのに最後の最後まで蜀へと向かっている。 
戻っても味方が誰もいないにもかかわらず。 
彼の頭の中には蜀を裏切るという考え自体存在しなかったのだろう。 
不器用だが、愚直なまでに真っすぐ。 
そんな男たちがいなければ、蜀という国は存在しなかっただろう。
605無名武将@お腹せっぷく 2005/04/19(火) 20:32:04
蜀という国は、劉備の人間的魅力によって 
誕生された国であり 
劉備がいなくなった蜀には 
やはり政争は避けられなかったのでは・・・











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2016-07-23