1: 名無し三等兵 04/07/29 21:14 ID:aLqNuQQ8
日露戦争と並ぶ明治時代の対外軍事行動である日清戦争。
陸海の戦闘、指揮官、国際情勢を含めて幅広く語りましょう。

<略年表>
1894(明治27)年
朝鮮半島で大規模な農民反乱(甲午農民戦争=東学党の乱)、
朝鮮は清に出兵要請、日本も影響力確保のため出兵、緊張高まる

7月25日  豊島沖海戦
8月1日 宣戦布告
9月    平壌で清軍撃破
9月17日  黄海海戦、連合艦隊勝利、黄海制海権確立
11月     旅順攻略、遼東半島制圧

1895(明治28)年
1月         威海衛攻撃、清国北洋艦隊全滅
4月17日 下関条約
4月23日 露独仏の三国干渉、遼東半島返還、日露戦争の伏線に

4名無し三等兵 04/07/29 21:32
日露に比べると地味かもしれないが、小国日本が大国清に 
完勝した衝撃はすごかった。それが三国干渉という形にあらわれた。
10名無し三等兵 04/07/31 01:11 ID:yKUmHoev
>>4 
日露戦争ほど影響があったとは思えないが。 
日露の時はネールなどアジアの民族運動家が熱狂し、 
ドイツ皇帝も「これからは黄色人種が怖い。黄禍だ」とか 
わけのわからないこと言ってるし。

日清では「眠れる獅子(清)の正体がバレた」と列強が中国を分割した。
5名無し三等兵 04/07/29 23:32 ID:176gxUZu
日露戦争より圧勝だったんじゃないか。 
まあ相手の国力が疲弊しててボロボロだったこともあるが。
7名無し三等兵 04/07/29 23:44
しかし、衰退していたとはいえ大帝国清に挑みかかるとは、 
日本、恐るべき強気だな。まさに新興帝国。
9名無し三等兵 04/07/30 23:35 ID:fd1NMuzU
しかし、この頃の連合艦隊は黎明期って感じだな。 
清のボロ艦を捕獲して戦力にしたり。
14名無し三等兵 04/07/31 09:37
うんちく・・・日清戦争時に清軍の捕虜になった日本兵は公式には一名のみ。 
清は捕虜にした日本兵を片っ端から虐殺したため、らしい。
16名無し三等兵 04/07/31 11:23
日清戦争で日本軍が初めて遭遇した清兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊だった。 
清兵の捕虜になると、四肢を分断され、生きながら火炙りにされ、磔にされ、 
屍に対しても首を斬り、面皮を剥ぎ、性器を切り取り、胸を裂いて石を積めたりした。
17名無し三等兵 04/07/31 12:25
清には国際法を守る、という観念がなかったし兵もそういう教育を受けていなかった。 
一方日本は宣戦布告文書にもあるとおり国際法を遵守するという方針があったため、
捕虜になった清軍兵士は現在から見てもかなりの厚遇をうけたらしい。
19名無し三等兵 04/07/31 14:10
>>17 
太平洋戦争当時の日本と同じ国とは思えん。
20名無し三等兵 04/07/31 14:36
>>19 
日露戦争のときのドイツ兵も待遇は良かった。 
明治の日本軍は立派だった。
23名無し三等兵 04/07/31 15:41
第一次世界大戦の青島攻撃の際の独兵捕虜の 
徳島収容所の話です。
42名無し三等兵 04/08/02 22:00
>>23 
待遇が良いので、ドイツに帰りたくないと言った捕虜もいたようだね。 
中途からは捕虜の限定的な外出許可も出ている。
37名無し三等兵 04/08/01 20:52
富国強兵、殖産興業の真っ盛りの時代だもんな。 
まさに上り調子の日本。
27名無し三等兵 04/07/31 20:47
日清戦争前の日本人は中国人に対して尊敬する気持ちがあった 
しかし戦後は中国人を見下す傾向にあったようだ
28名無し三等兵 04/07/31 20:52
~旅順余話~ 
本文中の松樹山火薬庫爆発については、
村上兵衛氏の『桜と剣~わが三代のグルメット』 
にこういうエピソードが載っている。 

  このとき、ひとりの少尉が、キラリと剣を抜いた。そして一個小隊をひきいて、 
  斜前の松樹山砲台にむかって、猛然と突貫して行く姿が見えた。聳え立つ大堡塁に 
  対して、たかだか一個小隊の兵力では、まさにトウロウの斧の感があった。 
  ところが、思いがけない猛襲に、敵の守兵はあわてふためき、火薬庫に火を投じ 
  自爆し、なんら抵抗を試みることなく、逃げ出してしまったのである。 

この少尉こそ二十四連隊第一中隊小隊長武藤信義
(後の元帥陸軍大将、村上氏の母上の叔父)であった。
武藤少尉はその戦功により、大山軍司令官の手によって、即日、中尉に進級した。

松樹山は第一師団の戦闘区域であり、この行動はいわば独断専行である。
この独断専行は、現代では旧軍の代表的悪徳として語られることが多いが、
日清、日露の勝利には、絶対に欠かせない要因であった。 

29名無し三等兵 04/07/31 21:24
>>28 
独断専行は陸軍の伝統だったのかな。 
日清、日露の成功が太平洋の地獄につながってしまった。
30名無し三等兵 04/07/31 21:44
>>29 
「臨機応変」とも言うのだが・・・
31名無し三等兵 04/07/31 22:05
>>30 
 「現場の判断だ」ダロ。
26名無し三等兵 04/07/31 20:40 ID:SICz2C32
陸軍では誰が活躍したんだ?日露の時より旅順ははやく落ちたようだが。 
遼東半島まで制圧とは北京・天津に近いし、清も恐怖だったろうな。
32名無し三等兵 04/07/31 22:20
>>26 
山縣有朋、大山巌といったところかな。いずれにせよ清が弱すぎて 
相手にならなかった。300年続いた大帝国も内乱と欧米列強の進出でガタガタ。 
農民の生活は困窮を極め、戦意もゼロ。訓練らしい訓練も受けていなかった。 
それでも明治維新からわずか30年足らずでここまで強くなった日本はすごい。
33名無し三等兵 04/07/31 22:30
陸軍で活躍したといえば、豊辺新作かな。 
平時においては、愚図でつかいものにならず整理される寸前だったそうだ。 

後は戦下手の桂を輔佐して難しい状況を乗りきった木越安綱参謀長、 
大迫尚敏、大島久直両旅団長とか。 
大山さんは、日露より日清のほうがしんどかったと述懐してる。
35名無し三等兵 04/08/01 13:24 ID:pvpFyt4T
陸上で大きな会戦はなかったのか? 
平壌では比較的大規模な戦闘があったようだが。 
清兵はろくな装備も持たず、訓練も受けていないし、 
辮髪で何か文字の書いた旗を持って、あわれな感じがしてくる。
36名無し三等兵 04/08/01 13:40
>>35 
日本は各所で何度も苦戦してますが何か? 

あと、辮髪はほっといてやれ。 
日清戦争より少し前に清と紛争した時には、日本だって陣笠の 
「官軍スタイル」な部隊が前線で衝突してたんだから。 
38名無し三等兵 04/08/01 22:32 ID:YcjcRbII
日露戦争では旅順攻略にあれほど多くの犠牲と時間を費やしたのに、
日清戦争では一日で落ちたらしい。 
守りやすく、攻めにくいアジア最強の要塞だというのに。 

>>28にもあるように、清の弱体ぶりがあらわれてるな。
39名無し三等兵 04/08/01 22:38
おはん、日清戦争時の旅順要塞と日露戦争時の旅順要塞は 
まったく別物だぞ。
41名無し三等兵 04/08/02 01:31
まあ、 
清国の海軍と日本の海軍のカタログデータから見れば、 
戦前の下馬評は、清国相当有利だったわけだが。
43名無し三等兵 04/08/03 18:40 ID:4oiIzspy
>>41 
練度と士気がどれだけ重要かが分かりやすいですね。 
日本お得意の死の猛特訓の成果だろう。
44名無し三等兵 04/08/03 22:36
それもあるが、
一番効いたのはやはり日露戦争・大東亜戦争にも連なる火力の集中使用だろう。
45名無し三等兵 04/08/04 21:03 ID:XtO8HKAd
清はすでに欧米列強に蹂躙され、国力もボロボロだった。 
アヘン戦争以降半植民地化され、洋務運動など改革も試みたが、 
日本に敗れ頓挫した。その後さらに変法自強運動を起こそうとしたが、 
守旧派におさえられ、滅亡へ向かっていった。
46名無し三等兵 04/08/05 19:34
遼東半島を制圧され、清もあせっただろうな。 
北京や天津もやばくなる。
49名無し三等兵 04/08/07 00:35 ID:MHc7F7CG
清は19世紀半ば以降、清仏戦争で負け、アヘン戦争で負け、 
アロー戦争で負け、日清戦争で負け、義和団事件で失敗し、 
どうしようもない状態だった。国が滅ぶ前ってこうなのかな。
50名無し三等兵 04/08/07 00:56
>>49 
そんだけ負け続けてなお国を保っているってのはある意味すごいと思われ。 
1回負けたくらいで国が滅びかねないような余裕のない日本とは違う。
51名無し三等兵 04/08/07 03:13
つーかもう義和団事件以降は国としての体はなしていないんだけどな。
57 04/08/14 17:31 ID:Vb7HgzCM
清国の戦艦は、当時の日本にとって、とても手の出ない高価な物だったようです。 
被弾しまくって、ボロボロとはいえ、日本にとって念願の初 ”戦艦”だったのでは? 

清国の国力の元は、貿易による収入のようです。(紅茶、絹、陶磁器など) 
基本的に、塩税以外に税金がない(農民が貧乏すぎて、税金が取れない)ので 
貿易関税によって、世界の銀が流れ込んでいたようです。
58名無し三等兵 04/08/14 19:05
日清戦争や、この後の義和団事件による多額の賠償金支払いもひいひい言いながら決済してるし、まとまった 
外貨(銀)は持ってたみたいだね。
59 04/08/15 22:23 ID:FlEfPZhS
当時の清国は完全な輸出大国で、銀の保有量は相当なものらしいです。 
その後、義和団事件などで、外国資本が離れはじめて、清国は滅亡したのでは? 
欧米列強に蹂躙されたと言うのも、どうでしょうか? 
アヘン戦争後もやはり、清国は完全輸出国で、世界の富が流れ込んでいます。 
アヘン戦争にしても、アヘンの不道徳のため、没収して起こしたわけではありません。 
戦争前も、戦争後も、アヘンの栽培は国内で盛んでした。 
関税(清国の税収のかなりの部分がこれ)が減るのを防ぐために没収したのでは? 
76名無し三等兵 04/10/01 21:34:55
>>59 
当時、清国は鎖国政策を布いていたので貿易黒字は殆どないよ。 
(だからそれまで中国から輸入していた陶磁器が輸入できなくなって
 日本で陶磁器が発達した) 
銀の産出量が増えたからです。 
もっとも銀のほとんどは日本から輸入していたのだが。
63 04/08/17 00:14 ID:ia2yQ7te
日清戦争前、「鎮遠」、「定遠」は日本にも来ていて、
日本側に相当なプレッシャーだったらしいです。
 当時、沖縄の帰属をめぐり、日清間は険悪な状態だったらしい。 

しっかり、砲艦外交してます。 
ただ、「鎮遠」、「定遠」は古いタイプの戦艦なので
富士、八島級とは勝負にならないですね。 
鎮遠のあの砲塔の配置はどういう利点があるのですか?
67名無し三等兵 04/08/17 08:44
>>63 
前方へ火力を集中できること、両舷側にも火力を集中できること、
装甲部分を短くできること、といった利点があります。 
当時「装甲艦は砲撃では沈まない」という戦訓があり、
衝角による体当たり戦法が重視されていました。 
そのため、主砲を前方へ向けて撃ちまくりながら突進する、
という戦法が有力視され、艦首方向に火力を集中する必要性がありました。 

装甲は砲郭と機関部を中心に張りますが、
装甲部分が短くなればより厚く堅固な装甲となります。 
ついでに船体を短くできるため、「格闘戦」に有利(小回りが利く)です。 

しかし1880年代には主砲が長くなり、
定遠のような配置では主砲の旋回ができなくなります。 
そのため、艦首に1基だけ連装砲塔を備えた戦艦が作られますが、
まもなく艦尾にも砲塔を積むようになります。 

フランスではこの時期単装砲塔を艦首、
艦尾と両舷側に1基づつ配置する方法がとられたこともあります。 
68 04/08/17 21:13 ID:ia2yQ7te
67さんへ 
なるほど、納得しました。 ありがとうございます。 
リッサ海戦以来、大規模海戦が無かったらしく、
あの時代の教訓が生き続けていたのですね。 
85名無し三等兵 04/10/04 03:45:10
開戦前、列強の観戦武官のうち、英国の中の人のみが日本の勝利を 
確信してたそうですが、その根拠って分かりますか? 
以前目にしたことがあったのですが、細かい所を覚えていないものですから。
86名無し三等兵 04/10/04 20:09:43
水兵の規律と練度じゃなかったかな。
99名無し三等兵 04/10/19 22:52:02 ID:2BpVw1i9
>>86 
>水兵の規律と練度じゃなかったかな。 

英国観戦武官ではなく、上記の佐藤鉄太郎の回想だが 
日清戦争開戦直前に北洋水師が李鴻章の視察による演習をおこない
日本海軍も見学が許可されたので赤城を派遣した。 

北洋水師の整然とした艦隊運動や艦砲射撃を見て、
「こりゃ我が軍に勝ち目は無いな。」と思った。 

しかし次に大連で陸上教練を見学してみると、見事な一斉射撃をおこなっていたが、 
よく見ると水兵達は斉射の合図に振り下ろしていた旗を見ていて
正面の照準線をみつめていない。 

「なんだ、見た目は良いが、基本がなってないじゃないか。
艦内でも似たような手抜きをしているなら、 
こりゃ我が軍にも勝ち目があるかもしれないな。」
と思ったそうである。
89名無し三等兵 04/10/13 00:24:57
黄海海戦でもT字戦法のような作戦はあったのだろうか。 
単純に勝負がついたのか?
98名無し三等兵 04/10/19 22:49:51 ID:2BpVw1i9
>>89 
19世紀末1866年のリッサ海戦(オーストリア艦隊25隻、イタリア艦隊35隻)以来 
大規模な海戦はヨーロッパには無く、蒸気船時代の艦隊運動について
明確な指針も無く、砲、衝角、水雷の使用法をめぐって論争があった。 

1887年、日本海軍は英国海軍ジョン・イングルス(John Ingles)大佐を雇い
海軍大学で海軍戦術の講義をした。
イングルス大佐は艦隊の機動力を重視し、機関科士官の育成、速射砲の採用、
艦隊の単縦陣の有効性を提言している。

海軍も実際の演習で単縦陣と単梯陣の両方を試し、
単縦陣のほうが陣形を維持しやすいと結論している。 

なお、当時でも単縦陣から一斉回頭による単梯陣への艦隊運動の研究も行われていたが、
黄海海戦では用いられていない。 

一方、北洋水師では艦首砲と衝角の威力を重視し、単梯陣を採用し
ドイツ人洋員ハネッケン(Hanneken)の李鴻章への報告によれば、 

一、形式同一の諸艦は協同動作して互に援助することを努むべし。 
二、終始、敵に艦首を向け、位置するを以って基本戦術と為すべし。 
三、諸艦は及ぶべき限り、旗艦の運動に従うべし。 

との戦闘訓令を各艦長に渡したという。 


黄海海戦時、北洋水師は日本艦隊を発見し二列縦陣から単梯陣へと切替え、
敵艦隊右方へと突入していった。 
海戦では、北洋水師右翼は日本艦隊第一遊撃隊の縦砲火に揚威、超勇が被弾し、
左翼が日本艦隊本隊末尾の比叡、扶桑、赤城を狙い、単梯陣が崩れてしまった。 

当時の赤城航海長、佐藤鉄太郎の回想によると 
赤城が、来遠、致遠、広甲に迫ってきたが、3隻とも赤城よりも速力があるにもかかわらず 
梯陣を維持したまま追尾してきたので撃沈をまぬがれたとある。 

また、
「戦略的に価値の小さい砲艦赤城に敵左翼の来遠、致遠、広甲が50分も追撃していたのは 
黄海海戦敗因の大きな1つである。右翼の2隻を失い、左翼の3隻が赤城にかかわり、
済遠が戦線離脱をして残り4隻で,日本艦隊本隊、第一遊撃隊と戦わなければならなかった。」とのべている。
102名無し三等兵 04/10/24 00:06:28 ID:kkW5gCYa
黄海の勝因は、やはり中口径速射砲による手数ってことになるのだろうね。 
定・鎮両艦の重装甲を射抜くことはできなかったけど、
戦闘能力を喪失させることはできたし、 巡洋艦には大打撃を与えて勝利を得た。 
もっとも、吉野を筆頭とする高速艦の存在も大きかったけど。 

…で、約半世紀後の第三次ソロモンで
今度は比叡が同じように巡洋艦に袋叩きに遭ったんだなw 
101名無し三等兵 04/10/22 04:57:12 ID:2XuUaZrA
あの頃の軍人は優秀だよ。昭和期に比べて
103名無し三等兵 04/10/24 00:25:43 ID:LL9bHXn4
蒼穹の昴読んだ人いる??
あれででている王逸って人は本当に平壌で指揮をとってたの?
107モンゴル国防板153 ◆LMDVdJkETM 04/10/28 07:31:11
>>103 
指揮するとは、どのレベルで?
読んでないので、よく分かりませんが平壌戦の指揮官は、下記の通りです。 
李鴻章が指揮官として、任命しようとしたのは、劉銘伝でしたが断られました。 

その為、当初は、四将軍の協議制です。 
1、盛字軍 (6,000名)  衛汝貴将軍 
2、毅字軍 (2,000名)  馬玉崑将軍 
3、奉軍  (3,500名)  左宝貴将軍 
4、盛字練軍(1,500名)  豊陞阿将軍 

その後、はるばる牙山から、逃げ帰った直隷提督葉志超が総指揮官に任命されました。 

平壌戦では文官でなく武官が、
劉銘伝がばっくれた為、清軍にとって珍しいことに総指揮官になったそうです。 
108名無し三等兵 04/10/31 12:59:34 ID:4u5Q35iX
李鴻章ってかわいそうだよな。滅び行く清を必死に何とかしようとするが、 
時代の流れには勝てない。屈辱的な敗北、不平等条約を何回も味わって。 
嫌な役回りをやらされたんだな。
110名無し三等兵 04/11/03 21:51:21 ID:ybOm+/yY
日清戦争は日本軍にとっての初の大規模な対外軍事行動といえるが、 
すでに西南戦争、台湾出兵等である程度の経験は積んでいた。 
もっとも、相手が違いすぎるけど。
112モンゴル国防板153 ◆LMDVdJkETM 04/11/03 23:39:14
>>110 
台湾の高砂族は、かなり精強だったらしいですね。 

清国軍は、本当にダメだったみたい。 
120名無し三等兵 04/11/16 14:57:06 ID:sGypdRzC
不敗神話 
1874   台湾出兵 
1875   江華島事件 
1894~95 日清戦争 
1900   義和団事件 
1904~05 日露戦争 
1914~19 第一次世界大戦(南洋諸島・青島攻略)
129名無し三等兵 04/12/11 20:37:09
質問やけど、北京入城は考えてなかったの? 
まぁ補給線の問題とかやばそうだけど。
130名無し三等兵 04/12/11 23:51:40 ID:0E+XNDW5
>>129 
>北京入城は考えてなかったの? 

戦況が上手くいったので、「北京へ行って皇帝に降伏をせまろう。」
と陸軍の一部が言い出したけど。 
「朝鮮問題の解決が大義名分なのに、北京まで攻め込んだら、他国が干渉して来る。 
遼東半島、威海衛、台湾と賠償金でガマンしとき。」とのこと。
131名無し三等兵 04/12/12 01:22:14
>>130 
サンクス。やはりあることはあったのか>北京攻略 
他国=ロシアか。でも我慢しても干渉してきた罠ww
132名無し三等兵 04/12/12 14:07:40
日清、日露、WWⅠと10年おきに戦争してるよな。 
よく国が持つよな。
133名無し三等兵 04/12/29 12:20:40 ID:pNWdsjCm
日露に比べてどうして地味なんだろう。海戦もあったし、 
大規模な国際紛争だったんだが。国際的な意味も大きかった。
134名無し三等兵 04/12/29 12:30:05
それ以後の清・中国の歴史に見るべきモノがないからだろうよ。 

日清戦争前の日本がどれほど清を恐れていたか、 またその当時のアジア情勢において 
どれほど日本が小国で、どれほど清が強大だったかということは 
今から学ぼうと思ったらけっこう真面目に勉強しないと無理だからなー。 

「日清・日露と日本は大陸侵略の計画を進めつづけていた」なんていう 
トンデモ史観が今でもまかり通っている現状では、 
「日本の最初の獲物」っていう認識しか出てこず注目されないのも仕方ない。 
135名無し三等兵 04/12/30 20:27:21
日清戦争に関しては教科書に書いてある程度の知識しかない私には、
当時の日本が清を恐れていたというのが意外。 

日清戦争は日の出の勢いの日本が、崩壊寸前の清相手に一方的な勝利を収めた 
イメージしか無かったです。 

明治の高官が刃物を舐めながら
「おう、とりあえず清を血祭りに揚げてやるぜ。HAHAHAHAHA」 
みたいな。 

勉強になるなあ。
136名無し三等兵 04/12/30 20:38:28
定遠ショック一つとっても、日本がどれだけ清を恐れていたのか、
冷静に考えればわかるはずなんだけどなぁ。 

それともうひとつ。 
日の出の勢いだろうが崩壊寸前だろうが、
日清の間に絶対的とも言えるほどの額面上の戦力差があったことも事実。 
間違っても「血祭りに揚げてやる」なんて認識は出るはずがない。 

そもそも欧米列強ですら清国の内実を正確には把握していなかったのに、 
日本が知っていたというのも考えられない。 
日本が勝ったからこそ、一気に清の半植民地化は進んだのだよ。
137名無し三等兵 04/12/31 12:45:14
>>136 
同意。 
列強は清を「眠れる獅子」として潜在的な力を認識していた。 
それが近代化開始からわずか30年足らずの極東の小国に完敗したことで 
正体がバレてしまった。以後列強の中国分割が急速に進んでいくことになる。
138名無し三等兵 04/12/31 16:48:52
>>136 
歴史に全く興味のない者にすれば分からなくても当然だよ。 
俺の姉貴は国立でてるけど、歴史に関しては五流大を出てる俺から言わせても 
教科書に載ってる程度の知識しかないし。 
冷静に考えたってその国の歴史をしってなきゃわかるはずもないだろ。
139名無し三等兵 04/12/31 19:10:15
どっちにしても歴史教育の怠慢ってとこですな。 
140モンゴル国防板153 ◆LMDVdJkETM 05/01/01 03:55:01
明けまして 御目出度う御座います 

>>139 
あまり詳しくやると、
日帝36年の植民地支配が、必然だった事が分かり、都合が悪いからでしょう。 

①ソウルにある独立門は、日清戦争で日本が清国を朝鮮の支配を諦めさせた記念碑です
 其れまでは、 
 中国の一地域。日清戦争の殆どの戦闘地域は、朝鮮です。
 朝鮮人は自分達で、勝手に小中華とほざいていた。 

②その後満州を狙っていた露西亜が、思いっきり南下してきました。
 日露戦争の最後の大開戦は、露西亜でなく奉天つまり満州で行われました。
 
③日清・日露のどちらか一つでも、日本が勝っていなかったら、 
 今頃満州及び朝鮮は旧ソ連邦の1地域になっていたでしょう。 

④朝鮮人は、感謝の気持ちは一切ありません。
 (殖民地政策の為、日本人の血税を湯水のごとく使い、インフラを整備しました。
  伊藤博文候は、植民地化に大反対。
  教育制度の完備{ハングルを始めて学校で教えた、其れまでは漢字以外は、
  ちゃんとした教育機関で教えていなかった}・鉄道の整備・発電所の整備等で
  全て持ち出し。日本の敗戦まで続いたが、回収出来なかった。

145名無し三等兵 05/01/21 21:45:28
日清戦争の賠償金、銀二億両は今の価値に換算してどれぐらいになるのでしょう。 
あの賠償金が八幡製鉄所になったり、
英仏独伊から購入した戦艦や装甲巡になったのでしたね。
146名無し三等兵 05/01/21 23:17:11
1890年の日本国家予算が約8000万両くらいに相当するらしい
154名無し三等兵 05/01/24 00:27:56
日本の国家予算3年分の賠償金を支払えるあたり清ってすごいな
155名無し三等兵 05/01/24 00:32:15
>>154 
当時の日本の国力がそんなもんだったという見方もできる
(むしろその方が良いと思う) 
それだけの国力差で勝利をもぎとったことの方がすごいかも。
169名無し三等兵 05/03/15 21:31:16
下関条約では朝鮮は独立国であると取り決められているが 
その前は独立国ではなかったということだよな
170名無し三等兵 05/03/15 21:38:10
>>169 
ちょと違う。 
清国が宗主国としての立場を主張したことが戦争の根本原因。 

日本は朝鮮が「どの国も庇護下にもない」独立国であるとの立場を
清国に認めさせたのが下関条約。
178名無し三等兵 2005/03/28(月) 09:06:49
>>170 
韓国の歴史教育ではそのへんが見事に抹消されていて笑える。 
日清両国の侵略を自力ではねのけ、民衆の力で大韓帝国を成立させたそうな。 
214名無し三等兵 2005/06/06(月) 23:50:26
黄海海戦では砲撃では清艦は沈まなかったと聞いたが、本当?
216砂漠の狐達 2005/06/07(火) 21:11:57
>>214 
ある意味では本当。 
正確には、「装甲艦は砲撃では沈められなかった」 
鎮遠・定遠だけの事です。 

それ以外の非装甲の巡洋艦?は、砲撃できちんと沈める事ができました。
217名無し三等兵 2005/06/07(火) 22:52:30
>>216 
なるほど。だから世界の海軍で、体当たりではなく艦砲による攻撃や装甲の強化が 
定着したのは日本海海戦を待たねばならなかったのか。
266名無し三等兵 2005/06/20(月) 20:08:24
開戦前の日本では世論や議会の説得に
「文明開化の維新国家・日本と朝鮮の共同内政改革を拒否した遅れた王朝国家・清」
という構図をつくりあげていたようだ。
利益線や国防の視点よりこちらの方が宣伝しやすく、
新聞もさかんに論説を出していた。 
福沢諭吉ですら進んだ日本が遅れた清に勝つのは当然、という姿勢だった。
267名無し三等兵 2005/06/21(火) 00:28:00
>>266 
そーいう、所謂「大アジア主義」の論説がむしろ当時は一般的。 
戦後日本の如く「これは日本の帝国主義だ!」とか言っても 
当時の事情を知る当時の人間にとっては「ハァ?」にしかなりませぬ。
272名無し三等兵 2005/06/22(水) 23:26:23 ID:wFLyfkEK
民間でも征韓論以来の大アジア主義は続いていたからな。 
実際「悪い清をやっつけて日本がアジアを支配すべき」
という義勇兵みたいなのが続出して政府も抑えにかかっている。
273名無し三等兵 2005/06/23(木) 23:45:00
日清戦争でも日露戦争でも日本=文明開化vs.敵国=野蛮・旧体制の構図だった。
 
当時の超一流の思想家(お札になってる人)なんか、
清は遅れた国で日本は世界の文明進歩のために勝たねばならない、
清国兵を殺すのはあわれだが
そんな腐敗政府の清に生まれた自分の運命を嘆くしかない、とか言ってる。
274名無し三等兵 2005/06/24(金) 07:15:46
>>273 
当時の西欧が自分たちが世界を支配することを正当化した論説そのままだよね。
276名無し三等兵 2005/06/26(日) 15:52:06 ID:8U7vuv06
日本は朝鮮半島を安全保障上の重要地域とし、
朝鮮の農民戦争への介入で清の影響力が強まるのを恐れて派兵した。

しかし鎮圧後は大義名分を失い、さらに朝鮮の内政改革を提案したが
清に「日本は朝鮮が独立国といってたのに内政干渉じゃないか」
と言われ論理的に苦しくなっていた。 

そこで日本は「遅れた王朝国家・清が朝鮮改革を拒絶した」という構図をつくって 
「朝鮮独立のため清への従属状態を排除する」と結びつけた。 

このイメージは知識人、新聞のみならず国民一般まで急速に浸透し、
開戦への流れを強くした。
 
現在と異なり、上手い、ズルい日本外交が際立っている。
もっとも、動機が不純なのでほめられたものではないが。
278名無し三等兵 2005/06/27(月) 01:36:50
まあ食うか食われるか、の時代だし。
279名無し三等兵 2005/07/03(日) 18:26:51 ID:tPoOQ2WV
そ、そうだったのか…ウマいな、大日本帝国。 
悪者にされた清は哀れ。まー日本がやらなくても欧米列強が 
食い物にしていたから同じかな。
277名無し三等兵 2005/06/26(日) 15:56:40 ID:hXa6Jp/U
しかし今の日本外交もそれに倣ってほしいですな
280名無し三等兵 2005/07/09(土) 18:17:37 ID:66P1yO3q
「文明と野蛮の戦い」という構図と明示していたが、
実際は朝鮮をめぐる帝国主義戦争の一つだった。 

陸奥宗光外相自身が回想で「日清両国が朝鮮における権力競争の結果」と述べている。まあ当時の 
世界史的情勢からすればやむをえないが。
282名無し三等兵 2005/07/09(土) 18:25:35
日本の外交は日露戦争の頃までは上手かったよね 
米英の同意を取り付けた上で韓国を併合したりとか 
現実の国際関係の中で摩擦を避けながら上手く植民地を獲得してる
287名無し三等兵 2005/07/19(火) 00:27:09 ID:8rQP0Tyl
昭和に入ってバカな軍部が暴走して、何もかも失って破滅したのが悔しい。 
大正期の政党政治・護憲政治の英米協調路線とやってれば、
いまも「大日本帝国」であり、戦勝国として堂々としてたのに。

さすがに植民地は手放しているだろうが、
ミクロネシア(旧南洋庁)の一部ぐらいは領有してるかもしれない。
288名無し三等兵 2005/07/19(火) 19:31:11
日本は無資源国家だから、あそこで大陸進出とかして資源確保に踏み切らずにいたら、 
仮に今も「大日本」だったとしても結局資源は欧米に依存しきりの状態だろう。 
そうなれば日本の運運命は欧米の意のままって事になるのでは? 
そうなったらどちらにせよドンパチ始まってたさ
289名無し三等兵 2005/07/28(木) 22:32:37 ID:DTHm/lN7
>>288 
世界貿易が発展して、現在のように資源を輸入して発展できたかもしれない。 
そのためには工業技術の向上が必要だったわけだが、
戦前の日本も重化学工業が発達しつつあった。
いずれにせよ、敗戦の破滅は歴史の必然だったのだが。






日清戦争 (中公新書)
大谷 正
中央公論新社
2014-06-24