76名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/06(火) 11:52:39 ID:CV0j5jz20
何気に思ったんだが
日本が本格的に挙国一致で戦争を始めるのは日清戦争からなんだな。 

倭国の大乱とか治承寿永の乱とか多くの合戦が行われていたけど 
あくまで国内の有力者同士の戦いだったり 
権力者同士の権力抗争だったりすぎなかったわけだし。 

文永弘安の役や文禄慶長の役が存在したけど 
両者共に挙国一致かどうかと言えば実に疑わしい。 

後者は秀吉個人の個人的な戦争だし 
前者は日本の一部の有力者の戦いという側面は否定できん 
天皇もあまり関与しなかったし 

天皇から全国民まで挙国一致で一致団結して戦ったのは 
日清戦争であると言うのであれば 
日本って戦争経験って実は無いんだな 
91名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/05(木) 06:20:26 ID:Vkt8XJ3C0
日清戦争は日露戦争と違って、英米の後ろ盾も無かったから、 
凡ミスひとつで即アウトなのに、戦争に踏み切ったのが凄いね。
102名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/14(土) 10:24:29 ID:/HPliNk50
ソウルの南からピョンヤン、遼東半島、満州の付け根まで北上し 
大連湾、旅順、最終的には北洋艦隊本部の威海衛近くに敵前上陸 
すべてに勝利し、近代戦争の先駆けとなった戦いぞ 

しかも正々堂々、少数でも突撃し勝利している 
兵は黙々と行軍し、廠重も困難をものともせず海外特派員も呆れるくらいだ 
素直に黙って死んでいった兵士たち、泣ける
103名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/14(土) 11:58:52 ID:Du3Cab7J0
フランス製兵器(日本)vsドイツ製兵器(清)の代理戦争だったか? 
あとアメリカ製兵器もライバル企業同士の代理戦争にさせられたみたいだし。
104名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/16(月) 00:01:59 ID:l6AcEx600
英仏(日本)vs英独(清)だね。
105名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/17(火) 22:22:21 ID:XYw8inwYP
清軍は、装備は新しくとも、戦術が古く、錬度も低かったようですからねえ。 
とりわけ陸軍は。 

たくさんの幟をひるがえして、わざわざ自軍の陣地を示し、小銃の射程距離もあまり考えずに、やたら遠方から撃ったりと。また、砦にこもりっきりで積極的に撃って出ることもなく、だから日本軍は容易に砲弾を浴びせることが出来たということです。
106名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/18(水) 19:46:00 ID:pDR3G/in0
>>105 
日本には外国人将校が指導に来て近代的な軍隊を作っていったよな。 
清にも外国人将校いたと思うんだ。なんで近代化できなかったんだろうか? 
107名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/20(金) 15:17:27 ID:2jP/8w770
ドイツの特派員の報告では 
清軍でなくとも、ドイツ兵でも日本の突撃で逃げるだろうと言っている 

黄海会戦では、清国海軍の将校はみな先進国の傭兵、つまり 
アメリカの特派員報告のごとく、日本軍は世界最強だったと思うぞ
108名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/20(金) 15:31:18 ID:2jP/8w770
あ、そうそう、突撃っつっても日清のそれは 
日露の旅順の突撃や太平洋戦争のバンザイ突撃と違って 
相手が浮き足立った時や一部に被害をださせて 
その隙を突いての突撃で、質のいい突撃だったみたいだぜ
109名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/20(金) 22:19:03 ID:k2EKCb2IP
愛国心教育を受けてきた国民兵の日本軍と、軍閥の傭兵である清兵とでは、
訓練度のみならず精神的なものにおいても、ずいぶんと違っていたようですねえ。 

それに、清軍は糧秣もまかないがお粗末で、行軍の途中や陣地周辺の村々から
食料の略奪をやらねば維持できなかったようで。 

もっとも、日本も清国との戦争を準備していたわけではないので、
開戦当初は兵站の確保や運搬にずいぶん苦労したようです。
110名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/20(金) 22:26:13 ID:k2EKCb2IP
ただ、陸戦の初戦である成歓の戦闘に、日本海軍から撃沈された輸送船高陞号の 
清兵1100名と大砲10数門と、あのドイツ陸軍顧問のフォン・ハネッケンの指揮が 
加わっていたなら、戦況は果してどうなっていたか分らないのですよねえ。 
ハネッケンも高陞号に乗っていたことはあまり知られていないようです。 

もし日本軍が成歓の戦闘で破れていたら、その後はたいへんな苦戦が続いたと思い 
ますよ。 
111名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/20(金) 22:30:44 ID:yjg4M06N0
ほんとに愛国心教育なんておこなわれてたの? 
ナショナリズムの高揚は日清以後なイメージがある。 

国民国家がどうのとかなんとか。よくわかんないけど。
112名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/20(金) 22:32:10 ID:yjg4M06N0
おっと。それと 
日清、日露戦争ともに、日本は食料を現地から徴発することは 
やってたと思うよ。
113名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/21(土) 00:43:37 ID:vecNF6fwP
ヒント 教育勅語。1890年(明治23)10月30日発布。 

日清戦争時の兵食。
精米、牛肉、獣肉魚肉缶詰、干し魚、高野豆腐、切昆布、干瓢、梅干、ラッキョウ、味噌漬、紅生姜、沢庵、奈良漬、茄子芥子漬

携帯口糧としては、
パン、獣肉・魚肉缶詰、佃煮、干し魚、食塩

他に補助食品として
鰹節、砂糖、醤油、醤油エキスなど 

朝鮮で得ていたものは、魚肉類(除く缶詰)と野菜ぐらい。
それも韓銭がないと購入できない。当時、あまり流通していない韓銭を入手するのに、
日本軍兵站部はずいぶん苦労したのだけれども。
114名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/21(土) 01:10:35 ID:vecNF6fwP
 日本軍は糧食そのものは、そんなに問題もなかったのですが、運搬手段たる人夫の確保に苦労したのです。 

 給料もいいことから開戦前は朝鮮人人夫に不自由しなかったのですが、開戦と同時に、朝鮮人人夫の逃亡が相次ぎ、ついでに糧食を満載した馬ごと連れて行ったものだから兵士の糧食に欠乏を生じ、ついに兵站部の日本軍人が責任を感じて自決する事態までになったのですよねえ。 
 まあ、当時、日本が勝つとは朝鮮人は夢にも思ってないですから逃亡するのも無理もないことなのですが。日本が勝つかもしれないという雰囲気で、朝鮮人人夫が戻ってきたのは、成歓の戦闘に勝利してからでした。
120名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/21(土) 11:49:40 ID:6bpP9SV50
>>114 
兵站が重視されてなかったというか、 
兵站に関しては準備不足ですよね。 

日本って兵站に力入れない感じですよね。
121名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/21(土) 13:01:45 ID:vecNF6fwP
>>120 
そんな感じですよねえ。 
 日清戦争の時は、後には人夫が確保できたのですが、今度は運搬の際の護衛と人夫監 
視が不充分だったようで。東学の乱民から襲撃されて物資は奪われ、人夫は殺されたりと。 
 また、人夫による物資の盗みが多く、とりわけ楽しみにしている慰問品が抜き取られたりと。これは日本人人夫も朝鮮人人夫もやっていたようですが、朝鮮人の場合は、朝鮮政府が盗みをしたものを梟首刑にしたことから、抜き取りはぐっと減り、落し物を拾って届ける朝鮮人までが現れたと記録されています。
123名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/21(土) 23:58:49 ID:vecNF6fwP
 ところで、これは日本軍参謀本部でもそう思っていたのですが、人夫賃金は朝鮮人は1日1円、日本人人夫は50銭と。ところが、現地の報告では、結局は日本人人夫も
1円の経費がかかったということなのですよねえ。 

 朝鮮人の場合は手弁当で、運搬がすんだら帰りは自弁なのですが、日本人人夫の場合、現地に生活の基盤があるわけもなく、それで手弁当というわけにもいかず、結局は食費や帰りの経費の補助やらで、賃金は50銭でも、結局は1円の経費となっていたようです。 

 で、何とか経費を節約しようと、朝鮮人人夫募集において1円から徐々に下げていったのですが、連戦連勝の報もあって、6、70銭でも募集に応じる朝鮮人には困らなかったとのことです。 

 また護衛や監視のことですが、日本にとって、けっして余裕のある戦ではなかったですから、武器も弾薬も兵士もみな前線に送って、それで兵站のことがあまり顧みられなかったのかもしれませんねえ。 

124名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/23(月) 15:19:11 ID:PdVILoFY0
兵站に関しては、海外特派員のすべてが関心しきりなのだがなぁ… 
朝鮮の道なき道をようも運んだものだと… 

食事に関しては牛肉のしぐれ煮の缶詰など 
百姓の次男三男などは食べたことのないご馳走だったんだろうなぁ 
いま食べても不満のないものじゃない?


139名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/20(月) 16:12:01 ID:Rk/lAudf0
>>124 
明治20年頃から海軍が缶詰に注目 
日清戦争の軍納牛肉缶詰を民間に払い下げ民間需要が増す 
日清戦争時251万7328円を購入、内4443トン(148万5678円) 
明治30年は1550トン、日露戦争時は2309万9211円 
明治37年 :9337トン 
明治38年 :17298トン 

鮭缶詰の工場がカムチャッカで生産を開始するのが 
明治43年 :堤商会による 


174名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/21(火) 21:08:49 ID:eCo7WIO00
フランス陸軍大学校長ラングロワー中将の観察の一節 

日清戦争は実に日本の見事なる戦争で、われわれの学ぶところが頗る多い。 
なかんずく兵站・運輸の整々たることまさに陸軍の模範とすべきもので、 
戦勝の一大原因はこれに存する。 

とまあ、缶詰を発明したナポレオンの祖国に褒められているし、 
日露も同じく沿岸砲を203高地まで運んだりして兵站で勝った 
ようなものなのだが、太平洋戦争の兵站軽視は何なんだつうことだな
127名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/24(火) 00:05:25 ID:/uQnhgaCP
 日清戦争当初の日本軍兵站のまずさは、そもそも準備が十分でなかったこともありましょう。用意周到に清国との開戦を準備していたわけではなく、成り行きのままに始めた戦争ですから。 

 日本兵の糧食はその内容としては充分なものでしたが、反対に、どうやら清兵のほうは食料や食器まで現地で調達せねばならなかったようで。 

 清人人夫が日本兵に語ったことによれば、約束の賃金も払われず、わずかな雑穀をもらっただけで、それで朝鮮人の畑から野菜などを盗んで飢えをしのいだ、と。 しかもこれが負け戦の逃走時の話ではなく、開戦前後の平壌に前進した清軍の中での事ですからねえ。
128名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/24(火) 00:08:03 ID:/uQnhgaCP
 そもそも、朝鮮が日本の勧告や援助を生かしてまともに近代化を進めておれば、日清戦争はなかったのですよねえ。 

 開港しても連年貿易赤字。それもやたら西洋高級木綿ばかり輸入して輸出は振るわず。それでますます貧国となって、内乱につぐ内乱。兵士の給料もろくろく支払えず、自ら守り自ら治めるという意識も低く、すぐに外国の兵を頼りとするなど。 

 清の属国であるかどうかなど、あまり問題ではなかったのです。ただただ、自ら国内の内乱を鎮圧できる、また未然に防げる力と内政の改良があったなら、朝鮮の地で戦争はなかったのです。 
129名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/24(火) 01:33:50 ID:l9LgwTmj0
 李朝は清朝や江戸時代と異なり、技術革新を嫌い、低レベルの実物経済で500年もの統治を可能にしたのであり、どこに似ているかといえば、いまの北朝鮮に似ている。19世紀初めの朝鮮の儒者が、「(我が国の拙(つたな)きところ)針なし、羊なし、車なし」(鄭東ユ『晝永編』)といっている。 

 針は粗雑なものがあったが、ちゃんと縫うには中国から針を買わねばならなかった。当時の中国針は優秀で、日本も輸入している。羊はモンゴルに征服された高麗にはいたが、いつの間にか滅びた。車は西洋文化が流入するまではない。木を曲げる技術がなかったからである。だから李朝には樽(たる)もない。液体を遠方に運ぶことすらできなかった。かつて日本が保護したとき、韓国はそのような国であった。 

 大韓民族(朝鮮民族)の文化の特色は、「常に退歩しつづけること」だ。 
 コピーはできる。しかし、劣化コピーだ。創意工夫が無い。本質的な理解もしない。だから、進歩することはなく、劣化コピーのみ。元祖や起源に近いことをありがたがるのも、コピーが世代を経るごとに劣化するからだ。 

 立地条件のおかげで、常に近隣文化圏から文化文明の供給があったから辛うじて国の体裁を保つだけのものは確保できた。劣化すれば隣を模倣すればいい、の繰り返しだ。
130名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/29(日) 15:41:56 ID:++EbN07T0
ソウルの南に上陸したり平城に進軍した清軍は略奪もしただろうが 
半島や満州南部で戦った清に略奪があったとは考えられないな 

日本軍も突貫突撃ばかりではなく、退却したりして巧妙に戦ったんだな 
ほんと、基本に忠実で勇気ある戦いだったみたいだ 
でも戦死が数千で病死が万単位って、嘘みたいだな…。
135名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/18(土) 07:08:46 ID:oK1DY4Tj0
>>130 
病死の相当数が脚気。
136名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/19(日) 16:30:15 ID:HZ7llGI40
日露の脚気は有名だけど 
日清も脚気なの?
137名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/19(日) 19:19:52 ID:eCzqkZ1J0
原因は同じだからね。 
副食に乏しい状況で白米ばかり食ってたせい。
138名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/20(月) 16:07:55 ID:Rk/lAudf0
日清戦争の内地移動下でも死者はでています。 
歩兵第七連隊、金沢市から福井までの酷暑の陸行160キロの下 
日射病(熱射病)1259名、死者5名。 

他、戦地ではコレラ、アメーバ赤痢、マラリアでの死者多数、 
冬季においては歩兵二十二連隊が兵員の7割が凍傷にみまわれた。 
らしいですね、凍傷の死者については不明。
140名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/20(月) 18:53:14 ID:GQ2FS9NzO
森鴎外の馬鹿野郎 

江戸時代の人間でも豆食って回避したのに
141名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/20(月) 19:01:06 ID:K32tPpjH0
森はほんとどうしようもないな。 
脚気の病因については高木や北里あたりは、かなり早くから栄養学的な問題を指摘してたんだけど東大閥がこれを無視。 
森も東大閥なのでそれに従って栄養学的な観点からの実験すらしなかった。 
海軍では結果が出てたのにそれも無視するんだから病死した人は浮かばれない。
142名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/21(火) 06:59:57 ID:+cMA2LlCO
文豪としては偉人だが軍医としては全くの無能だったよな森さんは。
144名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/21(火) 14:57:31 ID:+QkzyYgMP
森が無能だったというよりも、師匠であるドイツ医学界が、脚気は日本の風土病であるとして細菌説を言っていたのを、どうにも信じ込んでいたと聞いたことがあるが。 

>>江戸時代の人間でも豆食って回避したのに 
まあ、西洋文明は何もかもが正しいと信じ過ぎたということか。
145名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/21(火) 18:46:29 ID:Ackjf0qC0
>>144 
北里はドイツ留学中に脚気細菌説を否定してるんで、
必ずしもドイツ医学界全てが細菌説というわけではないと思う。 

個人的に森が一番ダメだと思うのは、
結果が出てる海軍があるのに、試験すらせずに細菌説に固執したこと。 
細菌説を信じてるなら、己が正しいことを証明するために試験すべき。 
頑迷といえば聞こえがいいけど、少なくとも学者失格。死者の数を考えると人間失格。
146名無しさん@お腹いっぱい。 2009/05/12(火) 07:04:32 ID:jJnVzlKu0
古くは蒙古が元と言う国を建国したり
それ以外でも異民族による新政権が樹立していたなか
日本軍があれだけぼこぼこにしたにも関わらず
新政権樹立どころか戦後から反日が凄まじく
未来永劫末代まで呪ってやると言われる始末。 

女真族みたいな蛮族にすら数世紀にわたり支配されてきたのになぜ?
147名無しさん@お腹いっぱい。 2009/05/12(火) 13:12:20 ID:FjdUTBF8O
>>146 
体制の維持には敵がいたほうが好都合だからです
155名無しさん@お腹いっぱい。 2009/05/18(月) 21:13:25 ID:YvkdlVby0
1894年(明治27年)日清戦争は開戦までは 
列強清国対三等国日本の戦争で、海外の見識では、清国優勢の評価だったが。 
日本は勝利した、しかも実にあっけなく・・・・。 
そんな印象があるのがこの戦争。 

海外派遣の外交官の情報収集なども優位に働いたのだろうか? 
また、高給で契約し海外から招いた軍人や、技術者の力量によるのだろうか? 
それとも単に、当事国の戦争への認識の違いがこの結果を生んだのか? 
ただ、どうしようもなく清が弱かったのか? 

謎だ。
156名無しさん@お腹いっぱい。 2009/05/18(月) 21:44:21 ID:JBNyxu1M0
確か、日本は清の暗号を解読できてたんじゃなかった? 
記憶が定かではないが、そんなことを聞いたことがあるような。 

情報戦の勝利で幕を開けた日本の近代戦争は 
アジア太平洋戦争での情報戦の敗北で幕を閉じるわけだな。
160名無しさん@お腹いっぱい。 2009/05/20(水) 13:29:00 ID:qNtRi7Bx0
日清戦争だけは、じつは日本は自前の燃料資源(石炭)で戦えた。 
日露戦争以降は、全部、輸入。 
日米戦争はもう・・・
161名無しさん@お腹いっぱい。 2009/05/22(金) 02:34:29 ID:r6aHipWf0
>>160 
なるほど、燃料カテゴリ的には自国調達資源で戦えたのが日清戦争だった。 
しかし軍艦は輸入、軍事編成教育等は海外の軍人を招いて得たもので 
日本の先進性が大きく作用した戦争でもあった。
162名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/02(火) 03:57:51 ID:GWZ1k9s+O
日露はともかく、日清戦争となると感覚的には時代劇の世界。 
世界最高齢は1894年生まれだよね。 

その人は、
日清戦争、日露戦争、WW1、WW2~イラク戦争と生きてるうちに経験している訳で。 

今の平和って幻想に過ぎないよな
165名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/23(火) 22:00:25 ID:O0LLLjpi0
日清戦争の戦死者って脚気が一番多かったんでしたっけ?
166名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/29(月) 16:56:46 ID:owORGrae0
日清戦争のデータ 

戦死者 977 人 
負傷者 3,335 人 

日本の脚気による年間死亡者数が1000人を切るのには 
昭和30年代まで待たなければなりませんでした。 

日清戦争 
兵力動員は24万人、戦傷者1.3万人(戦死者は数百人)、期間10ヶ月。 

168名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/10(金) 21:34:23 ID:kY7YVnzd0
>>165 
日露戦争では動員兵力100万人の内 
25万人の兵が脚気を発病、内脚気病死者2万7800人 

これを日清戦争動員兵力とシンクロさせると 
動員兵力25万人 脚気発病想定6万人、脚気病死者想定6000人 
という計算かな? 

いずれにせよ記録とか統計は残っていないだろう。
169名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/20(月) 23:31:42 ID:aXHd6NH50
旧参謀本部「日本の歴史」によると、日清戦争に於ける 
戦死および傷死  1417名 
病死      11894名 
変死        177名 
170名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/21(火) 10:27:24 ID:eCo7WIO00
病死が万を超えているが、本当に脚気なのか? 
一年に満たない従軍で脚気って死ぬもの?
172名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/21(火) 12:01:08 ID:eCo7WIO00
しかし凍死で一万つうのも信じられないし… 
水が悪いのかなぁ… 

でも病死が一万余つうのも、もったいない話だよな
173名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/21(火) 14:10:21 ID:BjCXDKDw0
満州と朝鮮にはいろんな伝染病がはびこってて、 
多くの日本兵は免疫がないうえに水も食料も不足 
してた劣悪な環境だったからバタバタ死んだらしい 


大陸の伝染病には、のちに満鉄の社員として満州にわたった 
日本人たちも大いに苦しんだそうだ
175名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/23(木) 13:07:17 ID:D//kUQXb0
初歩的な質問だけど、1894年(明治27年)当時の日本って 
清国から見てどうでもいい弱小国扱いだったんだろうか? 
また、李朝は日本が勝てると思っていたのだろうか?
176名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/23(木) 14:06:05 ID:BIEIvDBo0
>>175 
スレの前半を読め、長崎事件など詳しく書いてある 
弱小国つうより朝鮮と同じく属国扱いだわな 
黄海で破れ、山東半島に上陸され、北京が危うくなって慌てた 
李鴻章なんて教科書じゃ人物のような表現をされてたが 
俗物の権化みたいな香具師だわな
177名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/23(木) 17:17:04 ID:D//kUQXb0
>>176 
56が研究熱心だった頃だね、色々参考になるよ。 

↑※1つ前の記事の後半です


東辺の極小国「日本」は清国に手向かえない劣等国の筈だから 
李朝の次は日本を併合、そうなれば清国は太平楽 
こんな構想が清国にあったんだろな 
李朝は戦局の模様見で清の属国下での太平楽 

思いっきり出し抜いたが日本
179名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/23(木) 22:53:39 ID:Wh5JtUvr0
>>176 
>弱小国つうより朝鮮と同じく属国扱いだわな 

明治4年の時点で、清国皇帝と日本天皇は平等の「日清修好条規」を結んでる。 
もっとも、その後日清両国は対立を深めるわけだがな 

結局のところ日清戦争の原因は、 
「平等扱いしてやったら、
 どこまでもつけあがるナマイキな小日本になめられてたまるか!」 

「落ち目のクセに、いまだに大国のつもりでゴリ押しする
 清国ごときになめられてたまるか」 
という両国の意地の張り合いだと、オレは考えてるよ。
178名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/23(木) 20:41:33 ID:BIEIvDBo0
李朝が理解できない。 
独立の意思のない国なんて、あるのか?
180名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/23(木) 22:58:41 ID:Wh5JtUvr0
>>178 
小国が大国に安全保障を依存するのは別に不思議ではない 
今の日本でさえ、アメリカ軍撤廃・自主防衛を主張するのは少数派だろ?
262名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/20(日) 21:13:55 ID:Bum3ACjc0
森鴎外が 
坂の上の雲に出て脚気について語ってるんだが。
263名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/22(火) 21:26:11 ID:5gJpcTkS0
>>262 
脚気は細菌のせいだから麦飯は喰わせん。 

てか 
この時代1食1合の銀シャリがご馳走だったらしいよね 
副食ほとんどなし。
264名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/23(水) 10:10:51 ID:RD8vja530
こんな資料があるけど、はっきりとした結果が出なかったんだろか。 

(脚気患者小豆食麦の為試験給与致度伺) 
脚気患者ヘ小豆食麦ヲ為試験給与致度義ニ付伺 
 当台各隊之内逐々脚気症に罹る者有之候に付、為試験定則精米之内ヲ減じ、 
換ゆるに小豆、或は食麦混和炊爨給与致度旨申出候隊も有之候間、代用として 
小豆或は食麦給与致度、然る上は、経費決算に至て各隊食米を減じ、代用小豆 
或は食麦の名称を以、精米領り実費仕払勘定相立可然哉、至急何分の御指揮相 
成度、此段相伺候也。 

明治十七年九月十三日 
 東京鎮台司令官三好重臣代理 
 東京鎮台参謀長乃木希典 

 陸軍卿西郷従道殿 
 伺之趣、本年送第四千〇十二号達候通、可相以為事 

日清戦争の10年前に、試験的に脚気患者に白米を減らして麦や小豆を食べさせるというもの。陸軍乃木の名での上申、許可されている。 
これが成功していたら、脚気対策が出来てたかも。
266名無しさん@お腹いっぱい。 2009/12/25(金) 05:37:45 ID:Deqp+VL60
>>264 
貴重な情報ありがとうございます。 
海軍だけが脚気対策に着眼してた訳じゃないんですね。 
273名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/20(火) 13:04:00 ID:jbjM8HDg0
軍服がカッコイイ時代
274名無しさん@お腹いっぱい。 2010/06/05(土) 15:09:38 ID:vj8hVjFZ0
カッコイイ軍服は 
日本全国各地域、選り抜きの身体強健で屈強な軍人のため 
あつらえられた 
原則は全装備2着支給 

士官や下士官は自身の俸給で3着以上の軍服や常備服を 
洋服屋でつくらせていたそうです。
275名無しさん@お腹いっぱい。 2010/07/08(木) 08:14:35 ID:dMyQMsTc0
日清、日露戦争で日本を勝利に導いた大韓帝国(李氏朝鮮) 

日本が近代において地位を確立した、日清、日露戦争での勝利の裏には 
大韓帝国の日本への支援が大きく働いたことは
日本の教科書には書かれていませんが有名な話です。 

清と日本の領土欲から両国の対立が避けられない自体になることは 
1870年には明確でした。 

そしてとうとう、台湾出兵によりこの対立は現実化します。 

江戸末期から日本の開明派を支持し、支援を与えていた朝鮮の政治家達は 
日本を支えるべく行動を行いました。 
この方針は半島内の政権の変化があっても、終始変わりませんでした。 

日清戦争での日本への支援は 
・多額の戦費の支給 
・数多くの情報 
・ヨーロッパ諸国、アメリカへの外交工作の担当 
・軍艦の供与(イギリスより購入後、日本に供与) 
  吉野 
  浪速 
  高千穂 

・海軍指揮官の観戦武官として派遣 
(日清戦争での海戦はこれらの武官による作戦指導) 

これらの支援により、日本は清に対して勝利を収めました。
276名無しさん@お腹いっぱい。 2010/07/09(金) 15:09:46 ID:4aXXmjQUP
>>275 
詳しい解説サンクス 
それなら韓国の人たちが怒るのも当然な気がする
277名無しさん@お腹いっぱい。 2010/07/13(火) 09:56:54 ID:UutZS4vu0
>>275 

朝鮮からすれば、後方支援だけで独立させてもらったのだから 
もっと日本に感謝してもいいと思う。 

自力では独立できるワケがないのだから。
278名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/04(水) 13:44:54 ID:m8/Wne0T0
当時の朝鮮に日本を支援できるような財力があったのかね?
279名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/08(日) 23:04:05 ID:kAwrEKNk0
無かっただろうね。
281名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/24(火) 16:32:22 ID:yYxlycyg0
日清戦争が全ての元凶。 
あれは完全に清、朝鮮への侵略戦争だっただけでなく
国民の慢心、朝鮮、中国への蔑視を生み、
更には日露関係の悪化を招いて日露戦争に結びつき、
清の弱体化を招いて崩壊のきっかけを作り 
その後の大陸の混乱は満州事変やその後の日中戦争、大東亜戦争に繋がった。
282名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/24(火) 20:09:01 ID:g0NAqWcW0
日清戦争は日本が東アジアの秩序を破壊した戦争である。 

日清戦争のせいで清は国力が大きく弱体化し列強が清にバンバン租借地を作り 
その反発が義和団を生み、その鎮圧を口実にしたロシアの満州占領、

更には朝鮮のロシア接近、ロシアの北朝鮮利権獲得を生んで
日露戦争を余儀なくされてしまい、
戦争の結果、ロシア帝国も弱体化して共産主義台頭のきっかけを作り 

清崩壊後の中国の内戦は
その後の満州事変、支那事変、大東亜戦争のきっかけとなった。
283名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/24(火) 20:42:47 ID:iI4q0Rmx0
豆知識 
西洋を中心とした諸外国では
日清戦争は
「第1次日中戦争(The First Sino-Japanese War)」 

いわゆる日中戦争は
「第2次日中戦争(The Second Sino-Japanese War)」。

と呼称されるのが一般的。
284名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/06(月) 00:17:23 ID:ZdTksvzy0
日本に負ける程度なら、どのみち、食い物にされてだろ。 
日本が清に影響力を持ったから、欧米のアジア侵略があの程度ですんだんだよ。