10: 2010/01/07(木) 14:27:30.83 ID:h56BdVg1
1000年以上続いたんだからたいしたもんだろう

132010/01/07(木) 14:28:52.57 ID:xldK5e7U
>>10 
ほんと大したもんだと思う。 
世襲制を退けたのがその要因の一つかもしれんけど。 


112010/01/07(木) 14:27:56.96 ID:iZMYbzAH
繁栄と退廃はセットだからなぁ・・・
172010/01/07(木) 14:29:54.53 ID:dIlUXfVS
領土が広すぎて入ってくる税収<維持費になったから
212010/01/07(木) 14:30:36.57 ID:WQ9iTvwu
王政から数えると約2000年かよ・・・ 
願わくは日本も続きますように
202010/01/07(木) 14:30:36.37 ID:PsQuHe+Y
ローマ人が初期の精神を完全に忘れ、市民の義務を果たさず享楽に溺れ 
外人に国防までも依存したから とマジレス 

222010/01/07(木) 14:31:24.72 ID:HMY4Iikw
>>20 
あれ、なんかどっかの国を見てるような・・・
232010/01/07(木) 14:31:49.56 ID:xldK5e7U
>>20 
なんか今の日本みたいだな…
292010/01/07(木) 14:35:27.52 ID:del+syIh
滅亡寸前のローマ帝国と日本は似ているって昔テレビでやってた
322010/01/07(木) 14:37:29.37 ID:jYCD8eth
滅亡する時だけ似てるって言われてもうれしくない
372010/01/07(木) 14:40:40.37 ID:hFzyp0jq
西ローマが滅んでからなぜヨーロッパがあんな野蛮になってしまったのかが不思議
482010/01/07(木) 14:46:14.23 ID:6ltuW3s2
>>37 
だからこそ、いわゆる暗黒の中世(現代は否定されているが)を抜けての、 
ルネサンス(文芸復興)がある。 

この場合の文芸とは古代ギリシャローマの文芸であり、過去に範たれる、 
文明があったという証。
442010/01/07(木) 14:44:06.57 ID:Ici20YyQ
>>37 
蛮族しかいないし
512010/01/07(木) 14:47:11.57 ID:hFzyp0jq
>>44 
蛮族が破壊したって言っても
それまでゲルマン人はたくさんローマ社会で生活してたわけで 
優れてることを知ってたはずの文明を引き継ごうとしなかったのが不思議
562010/01/07(木) 14:49:01.88 ID:jYCD8eth
>>51 
引き継いだじゃん。キリスト教をさw
572010/01/07(木) 14:50:03.83 ID:6ltuW3s2
>>56 
正式に引き継いだのはフランク王国のシャルルマーニュ。 
それまでは諸国戦国時代だった。
462010/01/07(木) 14:46:07.29 ID:soh4OJob
国教がキリスト教になったからだって昔聞いたことがある
532010/01/07(木) 14:48:18.50 ID:xldK5e7U
>>46 
いやそれ最近テレビでやってただろ。 
キリスト教になったからではなく、第二の暴君のせいだろうと思うが。 
キリスト教になったのは、ローマに力が無くなりつつあった頃だろ。 
472010/01/07(木) 14:46:13.36 ID:HU78r0jF
今の研究ではどういう説が有力なんだろうか 
異民族との融和がうまくいかなかったとか?
542010/01/07(木) 14:48:29.52 ID:6ltuW3s2
>>47 
複合的な要素だろう。 
マルクスアウレリウスによる世襲、
カラカラによる全ローマ市民権付与、
ディオクレティアヌスによる元老院完全弱体化及び帝国4分割統治、
コンスタンティヌスによるキリスト教の国教化、 
色々あるけれど、繁栄と衰退は二分割出来ない、表裏一体のものであると思う。
592010/01/07(木) 14:50:32.31 ID:+IcbGclP
FF5のバーサーカーみたいな皇帝いたよね
632010/01/07(木) 14:54:53.11 ID:6ltuW3s2
>>59 
コンモドゥス帝
自らコロッセオに立ち、猛獣と闘った皇帝。 
最後は浴場で、拳闘奴隷に絞め殺される。 

ヘラオガバルス帝
変態おかま皇帝。その体の穴や襞、全てを使って 
相手に快楽を与えたという。東方のエメサ信仰の神官でもある。
隕石がご神体。 

カリギュラ
まじきち。
122010/01/07(木) 14:28:08.24 ID:RVp7ncgc
最後の五賢帝が世襲したから
782010/01/07(木) 15:02:02.89 ID:gn06u8Iw
>>63 
コンモドゥス帝の親で、偉大な皇帝と言われた、
マルクス・アウレリウス・アントニヌス 
が犯したただ一つの過ちが、世襲したことだそうな。
832010/01/07(木) 15:05:17.18 ID:6ltuW3s2
>>78 
と、一般的に言われているが、先の5賢帝のうち先4人には世継が生まれなかったので、 
仕方が無く、世襲ではなく、優秀な人材を登用していたわけで、
マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝には世継が生まれてしまい、
それを廃嫡するわけにも行かず、世襲にした所、暴虐化したというのが真相であり、
哲人皇帝は悪くないよ。 

哲人皇帝が生きていた頃は息子も大人しかったみたいだし。 
姉に殺されそうになって狂ったんだろ。
1242010/01/07(木) 15:34:54.43 ID:51e2Dkmp
マルクスアウレリウス→コモドゥスが悪いという学説俗説両者あるが 
これにしたって後継者を息子以外から選んだら、必ずどっかの軍管区が反発したからな 

ほぼ詰んでた状況で最善のはずの選択をしたら、実はそれが最悪の人材だったと
642010/01/07(木) 14:55:03.22 ID:Adl0fiBK
セプティミウス・セウェルス・・・ローマ軍団を優遇、がちょっと行き過ぎた 
         カラカラ・・・自由民を全員ローマ市民に ←これが致命的 
      ヘリオガバルス・・・ローマ史上最強の色物皇帝 
アレクサンデル・セウェルス・・・戦争が下手 

セウェルス朝のせいだな
802010/01/07(木) 15:04:40.97 ID:1rrOuvBT
>>64 
> カラカラ・・・自由民を全員ローマ市民に ←これが致命的 

日本も参政権といわず国籍を全ての在日外国人に与えようじゃないか
332010/01/07(木) 14:37:57.03 ID:t9/8Ph9w
ビザンツは何で千年も続いたの? 
戦争は弱いくせにすぐ内輪揉めして暗殺やら反乱のオンパレードなのに 

392010/01/07(木) 14:40:46.69 ID:p2Y6mBZ8
>>33 
アナトリアは豊かだったので。 
あとローマ魂。
1062010/01/07(木) 15:17:03.16 ID:t9/8Ph9w
>>39 
サンクス 
本で読んだけどビザンツ人のローマに対する拘りは凄かったみたいだな
1142010/01/07(木) 15:24:17.45 ID:mHoEfuQC
>>106 
皇帝即位には市民の歓呼が必要であるのが、ローマ帝国だった。 
そこで「市民」という官職を作り、歓呼の声を彼らにあげさせたのが東ローマ帝国。 
何か間違ってるような気もするが、彼らはローマにそれだけこだわっていた。
1162010/01/07(木) 15:28:00.59 ID:6ltuW3s2
>>114 
ビザンツはあまり知らないけれど、やはり西ローマ的な官職、 
即ちコンスルだのプロコンスルだの、神祇官だのあったのかな。
 
元老院があったことは知ってる。
1472010/01/07(木) 15:57:21.58 ID:jvOs1Svz
>>116 
ギリシア語風に呼ばれていたが、コンスル・アウグストゥスとかは官職として 
残った。大神祇官はローマ教皇に受け継がれている。
1512010/01/07(木) 16:00:35.88 ID:6ltuW3s2
>>147 
ギリシャ語風になったのですね。 
そっかあ…最高神祇官はローマ教皇に受け継がれていたという話は初耳でした。 
そういえば、シャルルマーニュにローマ帝国の皇帝冠を付与したのも教皇ですから、 
そう考えると、ローマ崩壊後の皇帝の権限はキリスト教会が保持していたようですね。
1672010/01/07(木) 16:21:16.03 ID:jvOs1Svz
>>151 
帝政ローマ末期にグラティアヌス帝がポンティウス・マクシムス(大神祇官) 
を放棄して、ローマ教皇に受け継がさせた。 

 ローマ帝国の皇帝の称号にして携えていた官職の1つがローマ教皇に渡った 
ことにより、コンスタンティノポリスの東ローマ帝国の総主教と正統的な権威が 
増し、800年12月25日のカール大帝の「西」ローマ帝国皇帝即位につながって 
いった。 

 「アウグストゥス」は西は19世紀の帝国解散の勅令に直接的に、1918年オー 
ストリア・ハンガリー帝国皇帝退位により断絶。 

 東は東ローマ帝国滅亡(1453年5月29日)の後、ロシアに最後のビザンツ皇帝 
コンスタンティノス11世(12世、13世とも)の親族が嫁入りして以後、 
ロシアが「第3のローマ」を主張。1917年ロシア革命までアウグストゥスが 
歴代ロシア皇帝に受けつがられた。元老院もロシア革命まで名目的ながら 
あった。
1742010/01/07(木) 16:27:15.45 ID:6ltuW3s2
>>167 
詳しいお話、ありがとう御座います。 
そういえば、西ローマ帝国の領地は全て教皇に送るとした偽コンスタンティヌスの 
寄進状もありましたし、教皇権とローマ皇帝の権威は密接しておりますね。 
大神祇官の流れ、そして、アウグストゥスの称号の変遷など良く理解出来ました。 

そういえば、ナチスも第三帝国を自称し、敬礼もローマ軍式のを取り得れるなど、 
欧州文明、即ち現在世界を覆っている文明圏における、古典古代のギリシャローマ 
の関わりは、もっと多くの人が学ぶべき、必須のものと感じました。
772010/01/07(木) 15:00:59.48 ID:6ltuW3s2
蛮族の襲来に対する費用の増加が時代につれ、その予算に耐えうるだけの 
収入が無くなった。 

その収入が無くなった要因は先に書いたように、帝国の構造的な弱体化と 
間違った制度の導入。 

そして、最後には軍事でさえ、蛮族に頼るようになり、当たり前のように滅亡 
するわけだが、東ローマ帝国は生き残り、その滅びた西ローマ帝国は既に 
歴史的な使命を終えていた、燃え尽き状態だったわけだ。
1852010/01/07(木) 16:38:15.67 ID:MrHFtST1
何年か前にNHKで放送したときは 
経済が悪くなって(各地で自称皇帝が出てきたりしてその各々が通貨を作ってたりした)国境を守る費用がなくなって 
皇帝は国土を縮小して国境線を短くしようとしたら 
縮小して自分の領地が減る元老院の人たちが国民を扇動して皇帝を悪者にして国土縮小を阻止に成功した 
そして国境の防備が手薄なままの状態で異民族が進入してきて滅びたってのをやってた
3032010/01/08(金) 02:39:02.82 ID:ujTLiuY6
そういや教科書なんかで名前が出てた
暴君ネロは暴君と言われるべきことをやったんだろうけど 
なにをやらかしたかは書かれてなかったんだが
3082010/01/08(金) 04:25:25.27 ID:DoDC5Ab7
ネロはキリスト教への迫害を行ったから、キリスト教中心主義の 
後世のヨーロッパでは悪の化身みたく書かれている。 

キチガイクラスの皇帝ならネロだけじゃなく
カリグラやコンモドゥスもなかなかのもの。
2292010/01/07(木) 18:28:19.73 ID:KVLhbcqd
国土が広くなりすぎて統治能力に限界が来たんだろう
2322010/01/07(木) 18:39:43.18 ID:5R8OqY+i
>>229 
四分割統治とかグダグダしたあと東西分裂 

西ローマは継いだ皇帝が全てボンクラで程なく滅亡 

東ローマは皇帝はまあまあだが敵も強くいつだって大ピンチで何度も何度も滅亡しかけたが、首都城塞コンスタンティノープルが難攻不落だったので篭城と舌先三寸で切り抜けを繰り返し結構存続 
でも最後は援軍のつもりで呼んだ十字軍に裏切られ弱点の後方を突破され落城 
…あれ?この後も少し存続したかも
2362010/01/07(木) 19:03:21.79 ID:KVLhbcqd
>>232 
このあと確か何故か復活してもう少し続いたが、多分元に攻められ 
3重城壁で耐え抜こうとするもジリ貧になり 
最期は城門の鍵をかけ忘れてオスマンに突破され滅んだとか
・・・というのを教養の授業で聞いた気がする





SPQR ローマ帝国史I――共和政の時代
メアリー・ビアード
亜紀書房
2018-05-26